もっと悪いことに、実際そうした瞬間に遺族のそばにいると、彼らの話やふるまいに当惑させられる。
遺族の気分はドラマティックに変わるものだ。
人は打ちのめされ、動揺しているとき、かえって落ち着いて見えたりする。
心の痛手が耐えがたいと、大声で笑ったりする。
ショックが深ければ、まわりに何を望んだらいいかわからないこともあるだろう。
最悪なのは、必死で悲しみに立ち向かおうとして、まわりに不可能なことを期待することだ。
あるいは、人のよさと気の毒に思う気持ちから、自分にできることを何かしてあげようとする。
もちろん、昔から人は、こうしたつらい状況を生き抜いてきたのだから、ほかの人に見習って自分にできることをやっていればいいと、無意識にわかっている。
しかし、結局、どんなにやさしさから出た行為でも、どれほど懸命に何かをしてあげようとしても、あまり役には立てないという気持ちで終わることがほとんどだ。
ときには、よけいに悲しみを深めさえする。
だが、私たちには心の奥深く、遺族とつながる能力がある。
純粋に相手の助けになれるとわかれば、自分のすることに満足できるのだ。
その手始めに、悲しみのプロセスを基本的に理解しよう。
多くの人は悲しみを、ただ深刻な喪失感と、それに続く悲嘆からくる深い寂しさだ。
もちろん、ふつう悲しみはそう表現されるがと考えているのだが、カウンセラーやセラピストはもっと複雑な問題だという。
第一に、悲嘆のために単独で効く、万国共通の即効薬はない、と主張する。
というのも、悲しみ方というのは、家族の伝統やどんな文化をもっかによっても異なるからだという。
次に、彼らは悲しみを定義して、「人が不幸な現実によって受ける痛手に順応するための機能的プロセス」と呼ぶ。
悲しみのプロセスは、あきらかな感情と精神状態、つまり防衛的な反応を見せる。
ここで、いい人が悲しんでいる人とかかわるとき、無意識に犯す間違いを見てみよう。
人否定「ああ、まさか。
そんなはずはないわ!」、「何かの間違いでしょう!」怒り「こんなの不公平だわ!いったいなぜそうなの」取引「ああ、神よ、彼女にチャンスをお与えくだされば、私は……」絶望「生きている意味がない。
もう、だめだ」受容「どうやらやれそうだ、ともかくやってみる」3番目に専門家は、悲しみのプロセスごとの特徴、名称、そして順序は異なるといっている。
遺族は必ずしもこのプロセスを順序どおりに、直線的に体験するわけではなく、ときには一度に通り抜ける。
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